『東京』というタイトルの曲は絶対作りたくない

「東京」というタイトルの曲には名曲が多い。
…とよく言われる。
実際どうだろう、と、そんなに音楽に詳しくないなりに
思いかえしてみても、確かにいい曲は多い気がする。
「東京」というタイトルの曲だけで構成された
コンピアルバムがあるのも納得だ。

昔ほどではなくなったとはいえ、
結局のところ音楽活動をやっていくならば
活動拠点を東京にした方が諸々において
有利という現状は、やはりあるように感じる。

それ故に地方で音楽活動をやっていた
バンドやシンガーソングライターたちは、
それぞれドラマティックに決心し、上京する。
そんな彼ら彼女らが「東京」というタイトルで
曲なんか作ったら、そりゃ他の曲とは想いや覚悟に差がでよう、
いい曲になるに決まってるじゃないかと思う。
(中にはどうでもいい感じの東京って曲もあるだろうけど)


僕もアラサーになってようやく、上京してしまった。
(23歳Dカップ女子大生というのは仮の姿だ)
「30になるまで東京で頑張ってダメなら田舎に帰る」
というのは昔からよく聞いた話だけれど、
その逆をやってしまったことになる。

今更ながらに自己紹介をすると、
私ノッツは山口県に住みつつ
宅録音一人バンドで
拙いなりに作詞作曲編曲録音演奏歌唱して
ずっと音楽活動をしておりまして、
海沿いの工場で働きつつCDを自主制作したり、
某笑顔動画に若干動画を投稿したり、
一度全国流通のCDを出してもらったり(廃盤)、
リミックスの仕事をさせてもらったり、
たまに腐れ縁の大学の時の友人と
バンドを組み、ライブをしたりしていた。

そんな不肖ノッツだが、なぜ上京したのか。
表向きには音楽するために上京した、
とか冗談で言うこともあるけれど、
本音を言えば、この音楽不況のご時世、
音楽でなんかやってやるぜ〜と息巻いて
上京したわけではない。

では、どうして上京したかというと、
1・人口の半分が熊、もう半分が猪の、故郷山口県
  もう居たくなくなったから、
2・東京の利便性についに負けてしまったから、
3・このタイミングを逃したら一生上京ということを
  しなさそうだったから、
4・気がつけば友達がみんな都内に居るようになったから、
4・そんな友達が何度注意しても
  楽しそうなピザパーティの写真をTwitterにアップし
  宅配ピザ屋さえない田舎の俺を嫉妬に狂わせたから、
4・しかもそのピザがすごく美味そうだったから、
4・さらにポテトとかチキンナゲットとかも
  頼みやがっていたから、腹が立って…腹が立って…

などなど1〜4のように、理由はいろいろあった。

運もあったのだとは思うけれども、
上京したらマンガ方面で少し動きがあった。
まさか曲が出来ないときに手慰みに描いていた
下手な絵のマンガの方で
動きがあるとは思わなかったけれど、
人と人との会いやすさは
「話の早さ」に直結していて、
それが運良く絵やマンガの仕事に繋がった。

(音楽の仕事はいまだにゼロです)


田舎でずっと暮らしていて、
遠目で都会を眺めていた時期が長かったのだけれど、
人と人とが会って直接話をする、ということが
いかに大事かということを
上京して実際に思い知った。
人と人とが会いやすいこの都市で、
世のだいたいの出来事が回っているのも納得だった。

だけど山口に住んでいるとき、それが不服だった。
面白そうなことは人が密集している東京で起こっていて、
テレビでもなんでも、美味しそうなお店が紹介されて、
えっどこだろう、と思っていたら新宿です吉祥寺です、
とか言われて絶対行けねえクソがふざけんな、
そっちがその気ならそっちでは高級魚の
ノドグロの塩焼きムシャムシャ食べてやるんだから、となる。
いやこれはこれで美味しいし田舎の利点なのだけれど、
やはり疎外感を感じる。

その、田舎に住んでいることによる疎外感は、
創作物を楽しんでいる時にもよく味わった。
「これいい唄だなー」と知らない唄を初めて聴いていても、
歌詞に「新宿」とか東京の地名が出てきた瞬間に
あ…少なくとも田舎に住む僕とは距離のある
唄なんだな…と、すこし虚しくなってしまう。

僕としてはこの唄が好きになりたいんだけれど、
東京に実際に住んでる人と比べたら、
毎日新宿を歩いてる人に比べたら、
100%にその曲を味わえないんだな、という。
最初からビハインドがあるのが切なかった。 
でもこれ東京に住んでるたくさんの人には
かなり響いてるんだろうなぁ…というハンデの切なさ。

作品は作品で絶対的に楽しめよ、
それはただ単に東京の唄なんだよ、
住んでる場所が違うからこその
共感の差異で相対的に作品を
楽しめなくなってどうするんだ、
と指摘されたらそれはそうなのだけれど、

いい曲であればいい曲であるほど、
なんだか地名が出てきて
想像力が限定されるのが
なんだか悔しかったりするのであった。

僕は田舎でそういう気持ちを
味わい尽くしたのち、
ついに我慢できず上京してしまった。

…今は、ひとまず音楽は音楽で脇に置いて、
こんな未熟者の僕に
有難くも誌面を分けて頂いている
連載マンガを一生懸命頑張ろうと思っていて、
音楽活動はゆったりになってしまっている。

けれど、音楽をべつに辞めたつもりはないし、
ごくたまにライブもしている。
(今度5月19日の大阪MARUZEN & ジュンク堂書店梅田店様の
 イベントでも少し唄います)
創作というものができれば、脳内世界を出力さえできれば、
その手法がマンガでも音楽でもかまわない、という性なので、
現状は現状でとても恵まれていて、
もちろんものすごく大変だけれど、嬉しい。
(マンガ…はやく上手くなります…)

そうはいっても人生の かなりの時間を
捧げてきたのは音楽なので、
また新曲も作りたいなぁと、
〆切が迫っている原稿を前にしつつ、
ぼんやり思っていたりもする。

だけど僕は新曲の歌詞に、
東京の地名は登場させたくないし、
「東京」というタイトルの曲もなんだか作りたくない。
ここまで田舎で長い間、
東京へ対して妬みに近い捻くれた複雑な感情を
ずっと温めつづけていた僕が、
「東京」というタイトルの曲を作ったとして、
いい曲になるわけがないし、
「東京」というタイトルの曲は名曲があまりに多すぎて、
確実に見劣りしてしまいそうだ。

逆に、
「『東京』というタイトルの曲は絶対作りたくない」
というタイトルの曲ならなんか作れそうだな、と思っている。
「東京」というタイトルの曲を作ってしまったら、
僕の脳内に住む、
もしかしたら山口県にずっと住んでいたかもしれない
パラレルワールドの僕が、確実に泣く。

東京はものすごく面白い。
住むのにお金はかかるし人間が多すぎて辟易するけれど、
その分、色んな人に会えるし、
面白い店もたくさんあって、便利で楽しくて仕方ない。
あんなに「なにさ、なにさ」と妬んでいた東京も、
実際に行ってしまえばほら、こんな簡単なものだ。
アド街とか嬉々として観ている。
山口県にはもう帰りたくない。
なんとか東京にしがみついていたい。
だけど、それでも、東京には気を許したくない。

住み続けた山口はずっと心の中にある。
それが今住んでいる東京に侵食されないように
心の壁で守っていたいと思っている。

山口は田舎過ぎるし、何もない。
特に僕が直前まで住んでいた所なんて
配達ピザ屋どころか、牛丼屋もない。
実際、なんにもない山口を飛び出したら
たくさんある東京で物事が繋がり、
色々と人生が動いた。

山口は、僕に何もしてくれなかったなあ、と思う。
でも、何も邪魔しないでもくれた。

田舎ならではの一軒家で毎日ギターを弾き狂って
大声で歌わなかったら音楽は続けていなかっただろうし
そんな田舎の大学で知り合った友人たちと
なにもない町で同じ時間を食べあっていた時期がなければ、
あんなに濃密で大切で儚い想い出は積めなかっただろう。
そんな山口はずっと心の中に
変わらないままで存在していて欲しい。
強すぎる東京が、
残酷にそれを上塗りしていかないようにしたい。

だから僕は今だって人の多すぎる都会を、
夜でも街灯りが昼のような東京を、
今日はなにか祭りの日かなあ、
などとうそぶきながら歩いている。

100%そうではないのだけれど、
やっぱり自分が体験したことを一番の資料にして、
創作物を作る傾向がある。

かつて田舎の大学生だったので、
山口に住んでた頃、
「田舎の大学生」という曲を作ってしまった。
歌い出しが、『2両の電車は走る』という非常にわかりやすい曲だ。

いま思えば、
都会の人間しかわからないような曲に憤慨しておきながら、
自分は田舎の人にしか分からないかもしれないような曲を
作ってしまっている。

冷静に考えたら、創作物なんてそんなものだ。
みんながみんな、パーソナルに、自分を削りとって作っていたりする。
新宿で劇的なことが起こったなら、それは勿論歌詞にも登場するだろう。
それが田舎に住んでいた時の自分に響かなくたって、
それは、たまたまだろう。
みんな好き勝手に、創作すればいいんだ。

それでも僕はなんとなく、
東京の地名をまだ歌詞には登場させたくないのだった。
「『東京』というタイトルの曲は絶対作りたくない」
という名の新曲はいつできるのかわからないけれど、
きっとその曲にも出てこないはずだと思う。

今日も東京以外のどこかで、
それこそ宅配ピザ屋も牛丼屋もないような田舎で、
濃密で、大切で、儚いドラマが起こっているはずだ。
人はそれぞれの土地で、好き勝手に、パーソナルに、生きている。
教えてもらえない限り、
目にみえないし、味わえもしないけれど、
きっと僕はそれがとても好きだ、たぶん。

「何処に住んでいたって、
 本質なんてそんなに違わないはずだ。
 僕は君だったかもしれないし、
 君は僕だったかもしれないんだぜ。」
と、
田舎を飛び出して東京になんとか住んでいる身で、言ってみたい。
飛び出せなかったかもしれない自分を体内に宿したままで、言ってみたい。
宅配ピザを頬張りながら。
2両の電車が8両になっただけだぜ、なんて。