目の滑る文章

「ノッツさんの長文は目が滑るんですよ!」

ということを言われたからというのもあってかなくてか、
最近長文を書いていないな、と思った。

長文といえば最近ではブログが常套句なのであるが、
自分のブログ自体は、実はもうすでに何個かある。
特に「ノツメモ」というブログは2006年の7月から
ほぼ毎日つけているものだから今年の7月で7年目に突入であり、
恐ろしいくらいの更新量・積もり積もった文字量なのであるが、
そちらのブログはほぼ個人的な備忘録メモ、
というか頼まれてもいないのに更新される日報、
といった具合であって、
なにか思いついたことだとか考えたことだとかを
つらつらと書き記すような類のブログではない。

逆にそのブログを始める前によく書いていた
mixiの日記の方が長文だったかもしれない。
クソみたいな広告営業の仕事をし、
深夜に帰宅し袋ラーメンをマグナムドライと啜りながら、
酩酊した体で呪詛めいた長文をmixi日記に書き記し就寝、
次の日の朝にmixiで赤字の太字ゴシックで
新着コメントがあります! という単語を得て
僕は他人に存在を認められている…!
僕は生きているんだ…!
という生存承認確認ごっこをしていた頃があった。

その時は時折、長めの文章で、自分が思っていることを
酒に酔った勢いでつらつらと書き連ねていた。
酒がまわりすぎた時は、
よくわからない短編小説みたいなものも書き散らかし、
マイミクの人達を困惑させたりもしていた。
本人はそれでも善意の名のもとについていく
好意的なコメントたちにご満悦であったが、
ある日に冷静な感性を持った人から受けた
冒頭のセリフでもって我に返り、
長文のmixi日記、いやさ、
ただただ頭の悪い何が言いたいかわからない自己陶酔長文を
書くことを辞めたのであった。
賢明な判断であった。

気づけばmixiにはログインしなくなって数年になる。
地元の某フィリピンパブにオジサンたちに連れて行かれ
大層居心地が悪く大変だった、という
該当場所をぼやかした日記を全体公開で書いたところ、
「そこって○○の○○ですよね! 知ってます!」
とか書き込んできたあの子は元気だろうか。
あのようなインターネットリテラシーの終着駅に
再度降り立つ必要もないだろう。

話を戻そう。mixiはどうでもいい、もうログインすることもあるまい。
だれか僕の代わりにmixiの「OK GO」のコミュニティを管理してください。
純粋にパワーポップとしてのOK GOのファーストアルバムが好きで
コミュニティを作ってみたらセカンドで彼らがyoutubeで踊りはじめて
大変なことになった。恐ろしくて覗けていない。

…だから話を戻そう! mixiなんてどうでもいいんだ!!
なんか長文を書いていないな、といった話だった。

現状の僕は紆余曲折を経て山口県から上京し、
漫画家見習いみたいなことになっている。
そもそもは音楽をするために上京したというテイだったが、
気づいたらこうなっていた。
東京は怖いって言ってた古いギターをYUIにあげた人も、
僕の東京でのこんな事態は予測できなかったのではないか。
あの人はYUI以外の事なんて別にどうでもいいか。

思えば昔からなんでも、
自分が思いついたことを表現できるのなら
手段はどうでもよくって、
音楽だったりマンガだったり、
その都度、手を変え品を変えやっている。
音楽は一度全国流通でCDを出して以降サッパリであるが、
最近は幸運にも連載があるという現状がそうさせるので
マンガを下手なりに一生懸命やっている。
マンガを描いていると、
なにかしら表現しようという欲はマンガのそれで解消され、
あえて文章でなにかを表現する気は無くなってしまうのであった。

実際長めの文章は読むのにそれ相応の時間がかかる。
特にインターネットというものは
時間のないブラザーシスター達が
手際よくステキ情報を得るためにサーフィンをしている
大層ファンキーな場所なので、
読み抜くまでに時間がかかる長い文章よりも
タイプの違うカワイイ女の子の絵を描いて「あなたはどっち派?」
とかいってる画像をペッとTwitterとかで呟いた方が
五億リツイートとかすぐいくのである。

…久しぶりに文章を書けば書くほどに、
話題があっちらこっちらに散っていくし、
自分でも目が滑ってきた。
兎にも角にも、
最近長文を書くことがなくなってきていて、
それによって失われているなにかというか、
勿体無い事になっていないかしら、と思っていたところであった。

と、そんなところに都合よく、
マンガの担当さんから電話が鳴ったので出てみる。

提出原稿の修正を3箇所程度受けたのちに
他愛の無い世間話をしつつ、
「僕、また長文のブログとか書こうかなとか思っているんですよ」
と、のたまってみる。
「いや、文章ならではの表現とかを再考することによって、
 マンガならでは表現の利便性を再考することにもなり、
 それは今後のマンガ表現のステップアップに繋がるのではないかと」
べらべらと捲し立てる。
何事もそうだと思うが、思っていたことを実際人に伝えることで
現実味を帯びてくる。言霊というものは存在するのであった。

「それはまあ…そうですね」
聡明な担当氏はウザったい新参アラサー漫画家のどうでもいい決意表明に
丁寧に付き合いつつ、つづけた。
「実際、文章ならではの表現というものはありますものね。
 【1万の軍勢があらわれた。】とか、文章なら一行ですけど、
 絵にするとなると…」
なんて恐ろしいことを言うのだこの担当は。
1万の軍勢を描くことなど想像したくもない。
そういうのは三浦建太郎先生にまかせていればいい。
それこそ描いているマンガが引きこもり少女マンガだったり
アパートでダラダラしてる大学生マンガだったりで
結局家の中ばっかり描写している僕に
1万の軍勢は未来永劫描けないだろう。

なるほどそれを言うとやっぱり文章というものには
マンガにはない表現力というか、
読み手の想像力を借りることによっての表現力というものがあるなあ、
それによって気づけるなにかってあるんじゃないか、と思い、
定期的に長めの文章を書いてみることへの決意を強くしたのであった。

そういうわけで腐らせていたここのブログを復活させて、
早くも目の滑る文章を書いてみた次第です。
定期的になにかしら、思いついたら書いてみたいなと
思っているけれども、最初の一発目からこんな具合であり、先が思いやられる。
それでも書き続けていたら文章もうまくなるだろうか。
目が滑る文章だけが達者になりそうな気もしないでもない。
最終的にはツルッツルのスベッスベな文章マスターになっているかもしれない。
ところでローションって使ったことないんですがそんなにいいんですか。

…だけど目が滑る、という表現も文ならではだな、
絵・マンガでは表現しにくいもんなあ。
そう思ったところで、目玉のおやじがスッテンコロリンしている絵が
頭に浮かび、ええいよくわかんねえや、と
濃い目に作ったホッピーをグビリと飲んだ。